ここに書いていることは、半月前の状況なので、改善してる事を願います。
一日目は雄勝町森林公園という場所に行きました。谷の一番奥に位置していて、津波は少し手前で止まっていて、周りには民家も3軒ほど残っていました。
森林公園は谷川沿いにキャンプ場やロッジがあり非常に綺麗な場所にあります。綺麗な谷川にも津波が運んだガレキや家屋自体までありました。
ここのロッジと公園管理棟に約140名の方が避難されていました。
市の職員はこの避難所には手が回らず、かろうじて社協の職員1名がケアしている状況です。僕らが到着する2日前まで孤立していたらしく、物資がようやく自衛隊によって届けられていました。
もちろん電気、水道、ガスなど来ておらず、携帯電話も電波棟自体流失し全キャリア通信不可能でした。(衛星電話があるが充電できないため使用できず)連絡が取れない避難所だったため僕らが来ることも避難所の方は知りません。アポなしです。
代表者の方とお話し、炊き出しと足湯を提供したいと申し出ました。
皆さん温かいものを食べていなかったり、2週間以上お風呂に入っていなかったりで僕たちの支援を歓迎してくださいました。特に今回炊き出しするメニューは地元商工会考案の〈牛すじ粕汁〉の“肉”を皆さん手を叩いて楽しみにしてくれました。震災以来肉を食べていないそうです。
聞けばしばらく救援物資のパンばかりらしく、僕たちが来たこの日の夕食もパンの予定だったとか・・
早速足湯と炊き出しの準備に取り掛かりました。
しかし下の状況を目の当たりにしてきた僕たちは避難所の方々とどう接していいのか正直困惑している状況で、ドギマギしています。
思っているのもつかの間、温かいお湯に足を付け、温かい汁とご飯を共に食べているうちそんな心配もどこ吹く風あっという間に打ち解けることができました。
僕たちから津波の事はあえて聞くまい、としてましたが、被災者の側から「下の状況見だが?」「すごかっぺ」「家も親戚もみないでもうだべ」と足湯に浸かりながらその時の状況を話してくれました。
この日は近所の個人の家に避難している40名の方も含め200食炊き出しし、支援物資の米、野菜、衣類などを振り分けました。
ここはキャンプ場ということもあり、僕らのベースキャンプを構えるのに最適と判断しここを拠点に各避難所を回ることにしました。
避難所では朝8時ころに朝ごはん、その後動けるものはガレキの中から使えるものや思い出の品などを探し行ったり、救援物資を取りに行ったりします。昼ご飯は無く夕方4時に夕食、日没に就寝。僕たちが回った7箇所の避難所はそのパターンでした。
避難所と撮ってとリクエストされた。避難所のみんなと。
この日は夜まで避難所の方とお話して寝床に就きました。
テントに入り眠りに着く頃震度4クラスの余震がありました。
次回、漁師町の強さ、子供たち元気!
4月16日大阪池田市のレストランばんまいで動物のお話し会をやらせていただきます。
ばんまいさんは支援物資の提供もしてくださいました。
現地の報告も当日させてもらうつもりです。
詳細はばんまいブログ。オーガニッククロッシングホームページにもアップされています。
ばんまいぶろぐオガクロホームページ
よろしくお願い致します
被災地から帰ってきました。
宮城県石巻市まで車両2台人員6名で行ってきました。
渋滞も多かったですが、ノンストップで約20時間掛かりました。東北道に入ると道路は地震で波打ち、応急的に補修した箇所が目立ってきます。福島県に入るころからガソリンスタンドは緊急車両のみか売り切れが目立ち始め、ようやく給油できても一時間〜二時間待ちの状態です。燃料不足の現状を目の当たりにします。この辺から周りは警察、消防、自衛隊、援助物資輸送の車両が多く、被災地に入った事を実感しました。反対の下り車線も災害派遣の車両が列をなして帰って行きます。これほどの自衛隊やら消防の車列を見るのは初めてでこの災害の規模を想像できます。
28日ちょうどお昼、石巻市役所(広域災害対策本部)に到着、石巻市街も津波による被害で家屋や店舗、そして市役所も一階部分が浸水して水が引いた状態です。到るところに車やガレキがありますが、地震や津波で倒壊した建物もあまり無く、一昨年地元で起きた水害と同じくらいの被害だなと正直感じました。
市街は電気が応急的に復旧している地区やスーパーなどが開店している箇所などもあり、ここで支援活動するよりもっと被害が甚大な場所に赴きたい旨を災害対策本部に申し出たところ、県や市も今だ把握出来ていない地域の避難所(100人規模)があり、道路も寸断しているかもしれないが、そこへ行ってくれないかと何箇所か教えていただいた。
場所は雄勝町。石巻市から北上川沿いをしばらく進み女川町の河川敷には、漁船やガレキ、そして幾体もの牛の死骸が目に飛び込んできました。
堤防の道は崩壊し橋は流され、自衛隊の工兵によって仮設の道が通ったばかりでした。堤防を隔てた横の集落は今だ水没していて、自衛隊による捜索が行われていました。
その光景を横に見ながら、リアス式の入り組んだ山道をぬけると雄勝町に入る。自衛隊のブルトーザーがかき分け陸の孤島から解消されたばかりの
道を抜けたとき、目の前に広がった光景は僕たちの想像をはるかに超えるものでした。
唖然とするというか、言葉にならない惨状です。突いて出てくるのはため息と涙ばかりでした。
雄勝町は入江に囲まれた場所で、四方から津波に襲われなんと20メートルもの津波が押し寄せ町が壊滅していました。かろうじて原型を留めた鉄筋コンクリートの建物の四階屋上に大型バスや家屋が折り重なるように載っていました。あとは跡形なく全てを押し流した状態でしょう。
とても文章にして表現はできません。いまだ捜索作業が行われている中とてもカメラを向ける気にもなれませんでした。
このような状況下で果たして僕らに何ができるのか、避難所の人達に受け入れてもらえるだろうかと正直不安になりました。
本当にできる事を精一杯やろう!喜んでもらおう!とメンバーで励まし合い気持ちを奮い立たせました。
そして一日目県立森林公園に一次避難しておられる方たちお会いしました。
次回、避難所の方々との交流、支援活動や避難所の様子など書きます。
もう3月ですね。
早いものです。
私事ですが、明日でとうとう30才になります。
まだまだ未熟な私ですが、皆様、どうぞこれからも宜しくお願いします☆
ここから本題。
これまでに作ったスイーツの写真をアップしていきます。
昨年に作った、栗の渋皮煮と甘露煮を使ったマフィン。
おばあちゃんの麹を使った、甘酒を使った蒸しパン。
(ヨモギ、黒糖レーズン、赤シソシロップ入り)
さくら餅(関西風。道明寺粉使用。)
いつも、びっくりされる位、大量に作ります。
周りの人たちにおすそ分けするのが楽しくて。
そうそう、来週から、私達夫婦は韓国に一週間ほど行ってきます。
韓国へ行くのは初めてで、予備知識も皆無だったのですが。
現地に詳しい友人と一緒なので、安心。
せっかく行くのだからと、韓国語を少し勉強してます。
でも、ハングル、難しいですね・・
バックパックとシュラフを背負っての旅です。
観光地だけでなく、昔ながらの農村風景も見てみたい。
「牛の鈴音」という映画を観たのですが、ああいう情景が失われていく世相は日本とほとんど一緒なのだろうな、と感じる所があります。
ちなみに、夫によると、韓国にもツキノワグマは生息しているそうで。
なので、調査がてら山にも行きたいと考えています。
食文化も色々と楽しみ。
陰陽五行説に基づいた伝統料理が多くあるとの事。
マクロビオティックに通じる部分が多くありそうです。
ただ、辛いものが苦手な私は、伝統菓子やスイーツに興味津々。
地元の人が利用するような市場で、スイーツや漢方に使えそうな食材を大量買いする予定。
また帰って来たら報告します♪